「服に着られる」ってどういう状態?

 

突然ですがNudie Jeansってブランドご存知ですか?

スウェーデンのジーンズブランドで「第二の肌」としてのジーパンを作ることをコンセプトとしているブランドです。

僕は今まで二本持っていました。

最初は固くて肌と反発するんですが、使いこむごとにどんどん馴染んできて最初から自分に張り付いていたような、まさに肌のような気持ちにさせるジーパンでした。

 

そしてNudie Jeansに限らず服って自分の一部だって考え方もできると思うんですよ。

髪型で人の印象って変わりますよね?七三だったらこの人真面目なのかな~とか、ドレッドとかアフロならそういう音楽が好きな人?それともただの怖い人?とか。

爪とか歯の状態だけでも人の印象は変わります。やっぱり汚い状態だとあまりいい印象は抱けません。

その人の印象が自分の体の部位一つ一つの状態、形で決定するとしたら、

その「印象」を左右する服という要因ももはや自分の一部っていえるのではないでしょうか?(いえますよね笑?)

 

そしてタイトルについてですが「服に着られている」状態だって思う、思われる時って

服と自分が調和していない時で、違和感をもたせる時なのでは、と思います。

例えば、道を歩いていて前から耳たぶがめちゃくちゃ長い人がいたとします。

例えばの話ですよ(笑)

そういう時ってやっぱり凝視しちゃいますよね。

だって今まで自分が普通だと思っていた人間像とは違う人なのだから。

そこには自分が普通だと思っている人間像とは違うことから生じる違和感が隠されていると思います。

 

「服に着られている」と思われるのも、その人と服の組み合わせに違和感があるからなのではないかと思います。

ある人もしくは自分自身が普通と思っていたその人像とは違う像ができてしまっているから「服に着られている」と思われるのではと思います。

 

 

 

 

、、、うーん、すみません。

ここまで書いて上手く言葉にできなくなってしまいました。

じゃあ違和感をなくすにはどうしたらいいかっていう話もあるし、

逆にその違和感をなくすべきなのかって話もあるし、違和感こそ時代を作る服とデザイナーにとって重要なことでこれまでの新しいスタイルを生み出してきたんだという主張も自分にはあるのですが

今の自分にはギブアップです、、、

これまでの文章も自分の考えを100パーセント表現できているとは思えないです。

 

今回はこんな感じで終了です。。。

もっと考えがまとまったらまた書こうと思います。