オシャレな衣装を着て

服にお金を遣うことを良しとしない人がいます。
特にいまはファストファッション
今風な着こなしなんてすぐにできる時代です。

ただ僕はそこに異を唱えたい。
貴方はその程度の人間なのかと。
ワンシーズン、たった3ヶ月、その時気持ちよくて飽きたら捨てられるような
消費されてしまう服ばかり着ていて貴方は満足なのかと。

服は1番外側の外見なのだと思います。
その人がなにを大事にしてどんな集団に属しているのか、属したいのかがわかる大事な外見なのではと思います。


人間は中身だという意見もあるでしょうが
外見も大事です。

顔つきに人柄は出るし、体型に今までの生き方も
でてきます。

そして服でその人がわかると思います。

ただ高い服を着ればいいわけじゃないですし、
何十前の服でもカッコイイ服はカッコイイ。

なにが言いたいかと言うと自分でもわかんないです(笑)

服に夢を見る

高い服を着てもすごくあったかくなるわけでもなくめちゃくちゃ運動能力が高くなるわけでもないのに。

正直服なんて3、4枚あれば十分。

服になにを見るのか

夢、羨望、憧れ。

なんなんだろう。

なにか好きなものがある人へ。服が好きな人へ。

好きなものがある人、好きなことがある人

「いいな」と思います。

 

人はなぜ生きるのか、生きる目的とはなんなのか。

最近そんな重いテーマを考えてしまうんですが、

それって生きていないとその先を知ることができないもの、ことがあるからなのではないかと思います。

 

僕なら服です。

例えば次のコレクションはどのブランドがどんな驚きを与えてくれるのかとか、

次のシーズンはどんなトレンドがおきて、どんなスタイルがストリートにでてくるんだろうとか。

 

人によっては漫画、音楽、アニメ、スポーツ色々違うと思います。

もしくは子供の成長、家族のこれからの歴史もまさしくそうなんだろうと思います。

 

家族、子供という一般的に重要なテーマはまさしくですが、

人によってはファッションや漫画なんてなにが楽しいんだ、なんでそんなことに

金と時間をかけるんだって思われる方もいると思います。

 

でも傍から見たらささいなことがその人にとっての「生きるということ」と繋がる細く強靭な糸なのかもしれない。

 

太宰治さんも言っていました。

「死のうと思っていた。 今年の正月、よそから着物一反もらった。 お年玉としてである。着物の布地は麻であった。 鼠色の細かい縞目が織り込まれていた。これは夏に着る着物であろう。 夏まで生きていようと思った。」
 
僕もそんな感じです。
次に服を作る方々はなにをしてくれるだろう。
次の2018AWまで楽しみにしながら生きていこうと思います。

服は布と糸の塊

服の魅力ってなんだろうって考えるんですよ。

結局は布と糸の塊じゃないですか(笑)

それをある服はダサいっていったり

ある服はオシャレっていったり。

どこどこのブランドはいいって言ったり

どこのブランドはダサいって言ったり。

 

なにが人を魅了し、なにが高い服を購買しようという気持ちにさせるか

最近すっごい考えています。

「服に着られる」ってどういう状態?

 

突然ですがNudie Jeansってブランドご存知ですか?

スウェーデンのジーンズブランドで「第二の肌」としてのジーパンを作ることをコンセプトとしているブランドです。

僕は今まで二本持っていました。

最初は固くて肌と反発するんですが、使いこむごとにどんどん馴染んできて最初から自分に張り付いていたような、まさに肌のような気持ちにさせるジーパンでした。

 

そしてNudie Jeansに限らず服って自分の一部だって考え方もできると思うんですよ。

髪型で人の印象って変わりますよね?七三だったらこの人真面目なのかな~とか、ドレッドとかアフロならそういう音楽が好きな人?それともただの怖い人?とか。

爪とか歯の状態だけでも人の印象は変わります。やっぱり汚い状態だとあまりいい印象は抱けません。

その人の印象が自分の体の部位一つ一つの状態、形で決定するとしたら、

その「印象」を左右する服という要因ももはや自分の一部っていえるのではないでしょうか?(いえますよね笑?)

 

そしてタイトルについてですが「服に着られている」状態だって思う、思われる時って

服と自分が調和していない時で、違和感をもたせる時なのでは、と思います。

例えば、道を歩いていて前から耳たぶがめちゃくちゃ長い人がいたとします。

例えばの話ですよ(笑)

そういう時ってやっぱり凝視しちゃいますよね。

だって今まで自分が普通だと思っていた人間像とは違う人なのだから。

そこには自分が普通だと思っている人間像とは違うことから生じる違和感が隠されていると思います。

 

「服に着られている」と思われるのも、その人と服の組み合わせに違和感があるからなのではないかと思います。

ある人もしくは自分自身が普通と思っていたその人像とは違う像ができてしまっているから「服に着られている」と思われるのではと思います。

 

 

 

 

、、、うーん、すみません。

ここまで書いて上手く言葉にできなくなってしまいました。

じゃあ違和感をなくすにはどうしたらいいかっていう話もあるし、

逆にその違和感をなくすべきなのかって話もあるし、違和感こそ時代を作る服とデザイナーにとって重要なことでこれまでの新しいスタイルを生み出してきたんだという主張も自分にはあるのですが

今の自分にはギブアップです、、、

これまでの文章も自分の考えを100パーセント表現できているとは思えないです。

 

今回はこんな感じで終了です。。。

もっと考えがまとまったらまた書こうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

こんな本読んでます!

 

こんにちは、最近ファッションの沼にはまりかけてます(笑)

昔バイトしてた服屋の店長が「ヴィンテージとハイブランドにはまると大変なことになるぞ!」と

警告してくれましたが、ファッションにはまるだけでもヤバいっすね(笑)

支出が増える増える。

 

そして今回はこんな本買っちゃいました。

 

 

メンズウェア100年史 ( )

メンズウェア100年史 ( )

 

 

 

メンズウェアの遍歴100年を俳優、スポーツシーン、芸術家など様々なファッションの発信地から写真などでまとめたもので

当時の流行がどんなものだったか、そして今のトレンドにどうつながっているかが感じられる本でした。

こういう「資料」っぽい本は初めて買いましたが、勉強になること満載です!

デザイナーさんやスタイリストさんはこういうのを見て服を考えているんかなって感じました。

ウンチク好きな服好き(僕みたいな笑)にはおすすめな本でした。

 

こういう本って結構色々あるんですね。

BEAMSが日本のファッショントレンドをまとめた本ってのもあるみたいでそれもぜひ読んでみたいなーって感じました。

 

いやー出費がすごいすごい。

 

 

「いい服着てる人やな」ってなる基準

だらしない格好してる人っていますよね。
ヨレヨレのカットソーでボロボロのスニーカー。

そんな時感じるのはあまり良い印象ではないと思います。

でも「ヨレヨレのカットソーでボロボロのスニーカー」で
カッコイイって思う人もいます。

昔、電車でよれたオールドステューシーのカットソーに
くたびれたオールスターのスニーカーのおじさんを
見たんですが
最高にカッコよかったです。

グランジって着方もあります。

この違いはなんだろうって思います。

この両者の境界線ってどこにあるんだろうって疑問に思います。

「ボロボロ」で「使い古した」ものより
「ピカピカ」で「新品」の方がモノの価値としては
上のはず。
ただジーンズや革製品のように
使い込むことによってそのカッコ良さが深まるものが
あるのは確かな事実。

じゃあ着ている人のルックス次第なのかと言われれば
そんな事もないと思う。

小太りのおじさんでも背の小さな女の子でも
いい服着てるな〜って思う人を何人も見てきました。

「いい服とはなんだろう」
それが最近の疑問です、、、